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"story_*"の検索結果85件

メアリ・オブ・モデナ|名誉革命で失脚!国王に嫁いだはずが一転、亡命の身へ。オランダ仕込みのお茶を宮廷に広めた王妃

国王ジェームズ2世が即位する前に妻アン・ハイドとの間に娘を二人もうけましたが、妻は若くして死去してしまいます。

そこで、王位継承者となる男児を得るため、また、この頃カトリック信仰を公表していたジェームズにとっては、どうしても同じくカトリックである妻を迎える必要があったため、再婚相手として選ばれたのがイタリアの名門エステ家のメアリ・オブ・モデナ(1658-1718)でした。

イタリア語名をマリーア・ベアトリーチェ・デステという彼女は、黒髪ですらりと背が高くスタイルの良い女性でしたが、このとき40才であったジェームズに対し、花嫁はなんと25才年下の15才!


キャサリン・オブ・ブラガンザ|「陽気な王様」に嫁ぎ、イギリスにお茶をもたらしたポルトガル王女

チャールズ2世は、王政復古によって混乱していた国の立て直しを図るため、また当時イギリスのライバルであったオランダに対抗しようと、オランダのライバルであったポルトガル王女との結婚を画策します。

この政略結婚はキャサリンが生まれた頃から持ち上がっていたといい、キャサリンが2歳になるかならないかの1640年には婚約していたとか!

しかし、ピューリタン革命に伴う混乱によって延期となっていたのです。その後20年の時がたち、1662年、ついに二人はポーツマスにて結婚します


【新発売】18~19世紀のヨーロッパの5人の貴婦人をイメージした紅茶「貴婦人のティータイム」が誕生!
もし、歴史上の西洋の貴婦人になれるとしたら誰になりたいですか? マリーアントワネット?それとも皇妃エリザベート?   憧れのプリンセスになった気分で優雅なティータイムを過ごしていただきたい。 そんな思いをこめた紅茶がウーバンアビーから誕生!   その名も「貴婦人のティータイム」シリーズ。 貴婦...

ユリアーネ・マリー|「ロイヤルコペンハーゲン」設立の影の立役者となったデンマーク王太后

ドイツ生まれのユリアーネ・マリー・フォン・ブラウンシュヴァイク(Juliane Marie von Braunschweig-Wolfenbüttel、1724-1796)は、1752年にデンマーク=ノルウェー連合国の王として君臨するフレデリク5世(1723-1766)のもとに嫁ぎました。

フレデリク5世の前妻ルイーセが亡くなってから7か月後のことでした。


ドイツのクリスマスの伝統「アドベントクランツ」を作ってみました♪
ウーバンアビーの中の人(店長・橋村)は大学時代、ドイツに1年間留学していたのですが、クリスマスの風習で素敵だなあと思っていたのが「アドベントクランツ」。   アドベントクランツとは、モミの木などの常緑樹で作ったリースに4本のキャンドルを立てたもの。   出典:Weihnachtszeit (A...

カルロス3世とマリア・アマリア|ドイツから、イタリア、そしてスペインへ!政略結婚によって広まったマイセン磁器の技術

ナポリ・シチリアの王として即位し、後に王位を息子に譲ってスペイン王となるカルロス3世(1716-1788)は、スペイン王フェリペ5世と、彼の2番目の妃でイタリア北部のパルマ公女エリザベッタ・ファルネーゼとの間に生まれます。

父フェリペ5世には既に世継ぎとして先妻の子フェルナンド6世がいたため、カルロス3世は、母エリザベッタがイタリア北部のパルマ公国出身であったこともり、王子時代にはパルマ公を務めていました。


ウジェニー|リモージュの名窯ベルナルドを皇室御用達に!卓越したセンスでフランス最後の皇帝ナポレオン3世を支えた美貌の皇后
教養はフランス仕込み!性格は情熱的で破天荒!? フランスのリーダーが今日のように大統領となる以前、最後の君主であったといえるのが、かの有名なナポレオン1世の甥にあたる皇帝ナポレオン3世。 出典:Wikipedia(ナポレオン3世) その皇后として迎えられることになるのがスペイン名家出身のウジェ...

メアリ2世|イギリスに「シノワズリ(中国趣味)」を根付かせた気遣いの女王

メアリ2世(1662-1694)は、夫と共に即位し、ふたりで共同統治を行ったことで知られるイングランド女王です。

イギリスの歴史上、夫婦が平等に国王と女王として「共同統治」を行ったのは、この夫ウィリアム3世と妻メアリ2世の時代のみです。

メアリ2世の伯父であるチャールズ2世は前々国王、父であるジェームズ2世は前国王、3才年下の実の妹はその後のアン女王、と家系だけみれば非の打ちどころのない華麗なる一族です。

しかし、彼女の即位までの経緯は、いろいろな利害関係と思惑がからみあった綱引きの結果であり、統治後も気苦労の絶えない人生であったようです。


6/28は国際クリームティーの日!日英友好の機運が高まる今こそ、紅茶&スコーンを楽しみたい♪
6/28は国際クリームティーの日! クリームティーとは紅茶+生クリームではなく、紅茶+スコーンのセットのこと。 英国はもちろん、世界中で紅茶とスコーンを楽しむ日♪   日本でもっと広がって、英国式スコーンやクロテッドクリームが全国いつでも どこでも買える日が来ますように。みんなでやろうクリーム...

【新登場!】人気の貴婦人シリーズに個包装のドリップパック「貴婦人のコーヒー」が仲間入り!
10/1はコーヒーの日。 海外でもコーヒーにちなんだ日として「国際コーヒーの日」と しても制定されています。   紅茶といえばイギリス。 ではコーヒーはどうでしょうか?   例えば、コーヒーが有名な国としてはオーストリアのウィーン。 ハプスブルク家の栄華とともに栄えた華やかなカフェが立ち並び、...

シャーロット王妃|芸術と自然をこよなく愛し、「ウェッジウッド」を見出したドイツ出身の王妃

母と元家庭教師(母の愛人?)の下で、従順な国王として人形扱いされていたジョージ3世ですが、このふたりの意見を、一度だけ突っぱねたことがあったのです。

それは結婚相手の選定。

しかし、ビュート伯や母親の目があり、表だって結婚相手探しは出来ませんでした。そこで、最も信頼していたグレイム大佐に花嫁探しを任せます。

そして、グレイム大佐が連れてきたのが、シャーロット・オブ・メックレンブルク=ストレリッツ(1744-1818)、後のシャーロット王妃です。


ルイ王太子とマリア・ヨゼファ|フランス宮廷とマイセンを結んだアウグスト強王の孫娘

フランス国王ルイ15世と妃マリー・レクザンスカの長男であるルイ・フェルディナン(Louis Ferdinand de France1729-1765)は、生まれながらのドーファン(Dauphin、王太子)として誕生しました。

有名な愛人だけでもポンパドゥール夫人にデュ・バリー夫人などなど、数多くの愛人を持ったことで知られる奔放な父王ルイ15世とはタイプの違う人物であったというルイ・フェルディナンは、ローマ教皇とイエズス会の保護を行っていたというほど敬虔なカトリックで厳格な人物だったのだそう!(顔はそっくりですが、性格は真逆な親子だったんですね)


アウグスト3世と3人の娘|ヨーロッパ屈指の絵画コレクションを築いた父と、陶磁器とゆかりの深い3人の娘

膨大な磁器コレクションを集め、マイセンを創設するなど、"強健王"として有名なアウグスト2世と、彼の妃クリスティアーネの間に唯一の子どもとして誕生したアウグスト3世(August III Sas、1696-1763)。

政治の世界での鬱憤を晴らすかのように、アウグスト3世は、芸術を愛し、ザクセンの都ドレスデンにヨーロッパ屈指のコレクションを築き上げ、ドレスデンを芸術の都として今日の発展の礎を築き上げます。


マリー・アントワネット|フランス革命に散った悲劇の王妃は、贅沢三昧で無知だったのか?

マリー・アントワネット(Marie-Antoinette、1755-1793)は、オーストリア皇帝のフランツ1世とその妻マリア・テレジアとの間に、第15子としてウィーンに誕生します。

オーストリアとフランスは、数百年間にわたって、ヨーロッパ大陸での覇権を争う宿敵関係でしたので、一旦は同盟関係を結べたものの、いつ瓦解してもおかしくない状態のため、早いうちに一層の関係強化を図る必要がありました。

そこで白羽の矢がたったのが、オーストリア側は14歳のマリー・アントワネット、フランス側は15歳の王太子(後のルイ16世)です。幼いマリー・アントワネットは、両家融和の象徴として、フランスに輿入れすることになります。


エリザベート|「ヨーロッパ宮廷一の美貌」といわれたハプスブルグ家最後のオーストリア皇后

エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach、1837-1898)、「シシィ」の愛称で知られる后妃は、バイエルン王国(現ドイツ)に生まれ育ちます。

エリザベートの父親であったマクシミリアン公爵は、バイエルン王家(ヴィッテルスバッハ家)の中でも傍系であったこともあり、そうとうな自由人であったようで、エリザベートも自由気ままに伸び伸びと生きていました。


エカテリーナ2世|ロシアの女帝は、世界最大の美術品コレクター?!

この当時のロシア帝国というと、西ヨーロッパ諸国と比較して「遅れた国」と認識されていました。

今の、「強い国、ロシア」というイメージからは程遠い、田舎の国だったんですね。

では、いつからロシアが強い国の仲間入りをしたのかというと、その基盤はエカテリーナ2世の統治下で築かれていったのです。


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