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"Story_Italy*"の検索結果10件

歴史ある「ヴェネツィアン・レース」にインスパイアされたレース柄の器がイタリアから届きました!
  清楚なレース模様のプレートが再入荷しました! 「ゴージャスレース」「シンプルレース」どちらもありますよ♪   ※上記はシンプルレース。   これは17世紀からヴェネツィア近郊に伝わる伝統的なレースにインスパイアされたデザイン。   というのも、ラセラミカの工房があるのはヴェネツィア近郊。 ...

細やかな手仕事が美しい「アンティークレース」。レースをヨーロッパの宮廷に広めたのは「ヴェニスの商人」!
「レースカーテン」や「レーススカート」など普段の暮らしの中に溶け込んでいる「レース」。繊細なデザインが美しく、エレガントですよね。 その歴史をひもといてみて、興味深い事実を発見しました。 レースが誕生したのは紀元前の古代エジプトと言われています。その後、世界各国でレースの原型が作られまし...

ルネサンスの巨匠「ラファエロ」にちなんだお品が初登場!
こんにちは。ウーバンアビーです!   さて! 今日のお品の時代はルネサンス期に遡ります。 なんと、ルネサンスの巨匠「ラファエロ」にちなんだデザイン。   バチカン市国の柱廊にほどこされたラファエロ作の絵にインスパイアされ、フランス王家御用達窯セーヴルが制作した器のデザインをブリキで再現したもの...

メアリ・オブ・モデナ|名誉革命で失脚!国王に嫁いだはずが一転、亡命の身へ。オランダ仕込みのお茶を宮廷に広めた王妃

国王ジェームズ2世が即位する前に妻アン・ハイドとの間に娘を二人もうけましたが、妻は若くして死去してしまいます。

そこで、王位継承者となる男児を得るため、また、この頃カトリック信仰を公表していたジェームズにとっては、どうしても同じくカトリックである妻を迎える必要があったため、再婚相手として選ばれたのがイタリアの名門エステ家のメアリ・オブ・モデナ(1658-1718)でした。

イタリア語名をマリーア・ベアトリーチェ・デステという彼女は、黒髪ですらりと背が高くスタイルの良い女性でしたが、このとき40才であったジェームズに対し、花嫁はなんと25才年下の15才!


希望に平和、そして無垢。ポジティブな花言葉が並ぶ可憐な野の花「デイジー」
白と黄色のコントラストがかわいらしいお花。   デイジーって花びらを1枚ずつ引き抜いて 「愛してる、愛していない…」と 恋の占いに使う花かと思いきや、 それはマーガレットの花だそう!   気取らなくて可憐なデイジーの花。 今日はそのポジティブな花言葉など、 デイジーにフォーカスしてみます!  ...

3/8は「ミモザの日」!黄色に映える英国バーレイ窯の代表作「ブルーキャリコ」
こんにちは。ウーバンアビーです。 3/8はミモザの日、そして国連が定めた「国際女性デー」。   イタリアではこの日、幸せの黄色い花「ミモザ」を女性に贈って感謝を伝える素敵な慣わしがあります。   出典:Easy Milano (The Significance of Mimosa on Mar...

小さくてかわいい「デミタスカップ」。コーヒーだけじゃもったいない!その広がる使い道とは?
子ども用?と思うほど小さくてかわいらしい「デミタスカップ」。 専用のカップでいただくコーヒーは格別ですよね。   でも、その小ささゆえに、使い道が限られると思う方もいるかも。   今日はデミタスカップの歴史や、デミタスカップをもっと楽しむ使い方を見てみましょう!   フランス語で「半分」と「カ...

カルロス3世とマリア・アマリア|ドイツから、イタリア、そしてスペインへ!政略結婚によって広まったマイセン磁器の技術

ナポリ・シチリアの王として即位し、後に王位を息子に譲ってスペイン王となるカルロス3世(1716-1788)は、スペイン王フェリペ5世と、彼の2番目の妃でイタリア北部のパルマ公女エリザベッタ・ファルネーゼとの間に生まれます。

父フェリペ5世には既に世継ぎとして先妻の子フェルナンド6世がいたため、カルロス3世は、母エリザベッタがイタリア北部のパルマ公国出身であったこともり、王子時代にはパルマ公を務めていました。


フランチェスコ1世・デ・メディチ|ヨーロッパ最初の磁器製造を試みた、スキャンダルまみれのメディチ家当主

「メディチ家」と聞くと、何を最初に連想しますか?

成金? 金融? 借金取り? 毒薬? 殺人?

どれもあまり好印象とは言えないものが多いかも知れません。

メディチ家は、ルネッサンス期を代表する一族で、銀行家、政治家として当時のフィレンツェを牛耳っていました。

フランチェスコ1世・デ・メディチ(Francesco I de' Medici、1541-1587)は、このメディチ家の出身で、1584年に、日本の九州の大名がローマ教皇に向けて使節として派遣した4人の日本人少年(天正遣欧少年使節)に、イタリアでの謁見を果たした人物でもあります。

 


ロッビア一族|ルネッサンス期のイタリアに、マヨリカ陶器の技術で新しい陶彫を生み出した

1401年にルネサンスの幕開けともいわれる、洗礼堂の門の彫刻制作のためのコンクールがフィレンツェで開かれます。

当時フィレンツェにはこのコンクールの勝者となったギベルティーをはじめ、ライバルでのちに大聖堂の丸天井の設計に携わるブルネレスキ、ブルネレスキの友人のドナテッロなど錚々たる彫刻家たちが活躍していました。

そのドナテッロと競作することとなった、フィレンツェの大聖堂のための大理石の聖歌台を作ったのがルカ・デッラ・ロッビア(Luca della Robbia、1400-1481)でした。


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