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"Story_Germany*"の検索結果18件

ドイツのクリスマスの伝統「アドベントクランツ」を作ってみました♪
ウーバンアビーの中の人(店長・橋村)は大学時代、ドイツに1年間留学していたのですが、クリスマスの風習で素敵だなあと思っていたのが「アドベントクランツ」。   アドベントクランツとは、モミの木などの常緑樹で作ったリースに4本のキャンドルを立てたもの。   出典:Weihnachtszeit (A...

ロココなバラのカップで可愛らしいクリスマスティータイム ♪
突然ですが「ドイツ」というと、どんなイメージをもちますか?   ビールやソーセージなどの食べ物や、ベンツなどの高級車のイメージを思い浮かべる方が多いかもしれませんね。   でも、実はドイツにも女性が憧れるような、すばらしい宮殿やお城がたくさんあるんですよ!   例えば、ドイツ・バイエルン州にあ...

ユリアーネ・マリー|「ロイヤルコペンハーゲン」設立の影の立役者となったデンマーク王太后

ドイツ生まれのユリアーネ・マリー・フォン・ブラウンシュヴァイク(Juliane Marie von Braunschweig-Wolfenbüttel、1724-1796)は、1752年にデンマーク=ノルウェー連合国の王として君臨するフレデリク5世(1723-1766)のもとに嫁ぎました。

フレデリク5世の前妻ルイーセが亡くなってから7か月後のことでした。


マイセンで有名なデザイン「ブルーオニオン」は、ちょっとした勘違いから生まれた!
一見、和食器ぽい洋食器のデザイン。   これは西洋で最初に白い磁器を生み出した一流窯 マイセンの「ブルーオニオン」シリーズ。   オニオン=玉ねぎだけど、実はこのシリーズ、 ちょっとした勘違いから生まれたロングセラー シリーズなのです。   今日は「ブルーオニオン」にフォーカス!   28...

ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト|マイセン磁器に鮮やかな色彩をもたらした天才絵付け師!

錬金術師のヨハン・フリードリヒ・ベトガーが当時まだ謎に包まれていた白磁器の製法を解き明かし、ヨーロッパで初めてその焼成に成功したことから、今なおドイツが誇る名窯マイセンの歴史が始まりました。

そのベトガーは37才という若さで死去。ベトガーを失ったちょうどその頃、マイセンも低迷期を迎えることとなってしまいます。

そんなマイセンにベトガーの死の翌年、彼と入れ替わるかのように登場するのが、伝説的な天才絵付け師として知られるヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(Johann Gregorius Höroldt、16961775)です。


シャーロット王妃|芸術と自然をこよなく愛し、「ウェッジウッド」を見出したドイツ出身の王妃

母と元家庭教師(母の愛人?)の下で、従順な国王として人形扱いされていたジョージ3世ですが、このふたりの意見を、一度だけ突っぱねたことがあったのです。

それは結婚相手の選定。

しかし、ビュート伯や母親の目があり、表だって結婚相手探しは出来ませんでした。そこで、最も信頼していたグレイム大佐に花嫁探しを任せます。

そして、グレイム大佐が連れてきたのが、シャーロット・オブ・メックレンブルク=ストレリッツ(1744-1818)、後のシャーロット王妃です。


ルイ王太子とマリア・ヨゼファ|フランス宮廷とマイセンを結んだアウグスト強王の孫娘

フランス国王ルイ15世と妃マリー・レクザンスカの長男であるルイ・フェルディナン(Louis Ferdinand de France1729-1765)は、生まれながらのドーファン(Dauphin、王太子)として誕生しました。

有名な愛人だけでもポンパドゥール夫人にデュ・バリー夫人などなど、数多くの愛人を持ったことで知られる奔放な父王ルイ15世とはタイプの違う人物であったというルイ・フェルディナンは、ローマ教皇とイエズス会の保護を行っていたというほど敬虔なカトリックで厳格な人物だったのだそう!(顔はそっくりですが、性格は真逆な親子だったんですね)


アウグスト3世と3人の娘|ヨーロッパ屈指の絵画コレクションを築いた父と、陶磁器とゆかりの深い3人の娘

膨大な磁器コレクションを集め、マイセンを創設するなど、"強健王"として有名なアウグスト2世と、彼の妃クリスティアーネの間に唯一の子どもとして誕生したアウグスト3世(August III Sas、1696-1763)。

政治の世界での鬱憤を晴らすかのように、アウグスト3世は、芸術を愛し、ザクセンの都ドレスデンにヨーロッパ屈指のコレクションを築き上げ、ドレスデンを芸術の都として今日の発展の礎を築き上げます。


エリザベート|「ヨーロッパ宮廷一の美貌」といわれたハプスブルグ家最後のオーストリア皇后

エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(Elisabeth Amalie Eugenie von Wittelsbach、1837-1898)、「シシィ」の愛称で知られる后妃は、バイエルン王国(現ドイツ)に生まれ育ちます。

エリザベートの父親であったマクシミリアン公爵は、バイエルン王家(ヴィッテルスバッハ家)の中でも傍系であったこともあり、そうとうな自由人であったようで、エリザベートも自由気ままに伸び伸びと生きていました。


エカテリーナ2世|ロシアの女帝は、世界最大の美術品コレクター?!

この当時のロシア帝国というと、西ヨーロッパ諸国と比較して「遅れた国」と認識されていました。

今の、「強い国、ロシア」というイメージからは程遠い、田舎の国だったんですね。

では、いつからロシアが強い国の仲間入りをしたのかというと、その基盤はエカテリーナ2世の統治下で築かれていったのです。


フリードリヒ2世|実は女嫌い?!「大王」と称えられるKPMベルリンの偉大な創設者の素顔とは?
「兵隊王」を父に持ったがゆえ…辛く過酷な王太子時代 現代はもちろん、存命中から大王と呼ばれその卓越した君主としての手腕と偉業を称えられてきたというプロイセン王フリードリヒ2世(Friedrich II.、1712-1786)。 出典:Wikipedia(フリードリヒ2世) そんな彼は、171...

フリードリヒ1世|「磁器の間」で知られるシャルロッテンブルク宮殿を妻に贈った、見栄っ張りで猫背の国王

フリードリヒ1世(Friedrich I、1657-1713)は、ブランデンブルク選帝侯であったフリードリヒ・ヴィルヘルムと、オランダ総督の娘であった妻ルイーゼ・ヘンリエッテとの間に、東プロイセンの中心都市であったケーニヒスベルク(現 ロシアのカリーニングラード)で生まれます。

この当時のプロイセンはというと、神聖ローマ帝国を形成する領邦国家のひとつではありましたが、多数の諸侯が入り乱れるうちの、要するに、田舎の地方政権といった様相。


マクシミリアン3世とマリア・アンナ・ゾフィア|神聖ローマ帝国の継承権をマリア・テレジアと争った姉妹の子供たちが創設したニンフェンブルク窯

ドイツ・バイエルン選帝侯マクシミアリアン3世ヨーゼフは、バイエルン選帝侯から神聖ローマ皇帝となったカール7世と、妃マリア・アマーリエの間に、ミュンヘンで生まれます。

一方、彼の妻となるマリア・アンナ・ゾフィアは、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(ポーランド王アウグスト3世)と、妃マリア・ヨーゼファの間に、ドレスデンで生まれます。

この頃のドイツは、大小の諸侯が乱立する領邦国家。その中でも特に力をもっていたのは、神聖ローマ帝国の皇帝に関する選挙権をもち「選帝侯」と呼ばれた7諸侯ですから、有力諸侯同士の政略結婚ですね。

そして、双方の母親同士は姉妹!ですから、マクシミリアン3世は一つ年下の従妹を花嫁に迎えることとなるわけです。


アウグスト2世|「マイセン」を誕生させ、ドレスデンを華麗なバロックの街並みに発展させた、精力旺盛な強健王

ザクセン選帝侯としてのフリードリヒ・アウグスト1世(Friedrich August I)と、ポーランド・リトアニア共和国の王としてのアウグスト2世(August II Mocny)という2つの顔をもち、"強健王"や"ザクセンのヘラクレス"などとも呼ばれるほど驚異的な怪力の持ち主としても有名なアウグスト強王(1670-1733)。

その異名を証明するため?!しばしば蹄鉄をへし折って見せ、自慢していた!という驚きの逸話も残る彼は、1670年にザクセン選帝侯領の首都ドレスデンに生まれます。


カルロス3世とマリア・アマリア|ドイツから、イタリア、そしてスペインへ!政略結婚によって広まったマイセン磁器の技術

ナポリ・シチリアの王として即位し、後に王位を息子に譲ってスペイン王となるカルロス3世(1716-1788)は、スペイン王フェリペ5世と、彼の2番目の妃でイタリア北部のパルマ公女エリザベッタ・ファルネーゼとの間に生まれます。

父フェリペ5世には既に世継ぎとして先妻の子フェルナンド6世がいたため、カルロス3世は、母エリザベッタがイタリア北部のパルマ公国出身であったこともり、王子時代にはパルマ公を務めていました。


アルバート公|「ヘレンド」が世に注目される契機となったロンドン万博開催の立役者

1851年、ロンドンのサウスケンジントンにある王立公園ハイド・パークにて世界最初の万国博覧会が開催されました。

当時の君主、ヴィクトリア女王の治世を象徴する祭典ともいわれるほどの一大イベントであったこのロンドン万博、参加国は34ヶ国にのぼり、5月から10月にかけての会期141日間で総入場者数はのべ604万人という大盛況ぶり!

そんな史上初の万博を大成功させた立役者こそ、ヴィクトリア女王の最愛の夫アルバート公(1819-1861)です。


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