日本でも馴染み深い、青と白の食器(ブルー&ホワイト)、あなたのお宅にも1枚はあるかもしれませんね。
青と白の食器では、ロイヤルコペンハーゲンが有名ですが、実はオランダにも日本を彷彿(ほうふつ)とさせる青と白の食器、デルフト焼きがあります。
今回はデルフトの街とデルフト焼きの特徴について紹介します。
首都マドリードから東へAVE(新幹線)で2時間弱、スペイン第二の都市バルセロナからは南へ特急で3時間ほど旅すると、バレンシア州の州都であり、スペイン第三の人口(80万人)を誇る港湾都市バレンシア(Valencia)へ到着です。
自らの文化、価値観、言語を大切にしてきた独立心が旺盛なカタルーニャ地方(中心都市はバルセロナ)に言語面では大きな影響をうけつつも、バレンシアに住む人は、自分たちは「バレンシア人」と強い地域アイデンティティを持ち、独自の文化を発展させてきました。
ベルリンという名前が歴史上に登場するのは13世紀になってからのことですが、15世紀には、神聖ローマ帝国の皇帝を選ぶ選挙に参加できる権利をもった「ブランデンブルク辺境伯」の領地における中心都市として発展します。
政治的な重要性をもった土地であったこともあり、ブランデンブルク辺境伯領の統治者は、ヨーロッパ宮廷一の美貌といわれた皇妃エリザベートの生家でもある名門ヴィッテルスバッハ家や、17世紀以降は、プロイセン王国の王家を世襲したホーエンツォレルン家へと、統治者は変遷します。
パリから電車で約2時間、フランスのほぼ中心に位置し、ワインで有名なブルゴーニュ地方ニエーヴル県の県庁所在地ヌヴェール(Nevers)。
ロアール川とニエーヴル川の合流点にあり、中世にはニベルネ公領の首都、河港都市として繁栄しました。現在は工業の中心で繊維・化学工業などが盛んな発達した街です。
ドイツ南東部、ベルリンとミュンヘンを結ぶ街道のほぼ真ん中に位置するのが、バイロイト(Bayreuth)です。
18世紀に優雅なロココ文化が花開いたこの町では、毎年夏に「バイロイト音楽祭」が開かれ、世界中の音楽ファンがワーグナーのオペラを鑑賞しに訪れます。
バイロイトが現在のように華やかな建造物があふれる文化的な街になったのは、18世紀にこの地に嫁いできたプロイセンの王女、ヴイルヘルミーネ(1709-1758)のおかげでした。
ドレスデンはザクセン州の州都で、人口約55万人の、エルベ川沿いに開けた美しい古都です。
ヨーロッパで初めて白磁の製造に成功し、マイセン窯を作らせたことで有名なアウグスト強王の時代に、バロック様式の一大文化・芸術都市とし発展しました。
リモージュ焼きといえば、透き通るような白磁に、クラシックで優雅な絵付けがほどこされた気品あるデザインが特徴的です。
このリモージュ磁器の誕生は1765年〜1770年頃と言われ、リモージュ最古の窯「ロワイヤル・リモージュ(Royal Limoges)」をはじめ、「ベルナルド(Bernardaud)」、「アビランド(Haviland)」、「レイノー(Raynaud)」、「ロールセリニャック(Laure Selignac)」などフランスを誇る老舗窯が、今もなお多数存在しています。
さて、ではこのリモージュでなぜ磁器生産が盛況したのでしょう。
セビリアの街は大西洋へとつながるグアダルキビール川の恩恵を受け、海洋貿易の拠点として長らく繁栄を誇っていました。
1492年に新大陸(アメリカ)を発見したコロンブスはここセビリアから出帆。セビリアが果たした重要な役割は今も語り継がれています。
711年から1248年まで、アル・アンダルス(現在のアンダルシア地方)の他の町々と同様イスラムの支配下におかれ、その影響を強く受けたセビリアの街には現在もイスラム文化が色濃く残されており、例えば、現存するヒラルダの塔は当時モスクの鐘楼だったものです。
しかしセビリアの街を彩るのは、イスラム文化だけではありません。
フィレンツェから電車に乗って15分も走ると、その景観は一遍し、車窓にはのどかな田園風景が広がります。
普通列車で30分ほどで、モンテルーポ・カプライア(Montelupo-Capraia)駅に到着、駅員のいない無人駅です。
古くからモンテルーポには特出した産業はありませんでした。唯一この街を支えた陶器作り以外には。
この街の陶器が注目されるようになったのは1406年フィレンツェが念願だった港、ピサ(Pisa)を手中に治めてからのことです。
トレドの歴史はとても長く、最初にこの地が「首都」とされたのは560年で、ローマ帝国の東西分裂、ゲルマン系王国でキリスト教を国教とする西ゴート王国、そして、その後の数百年はイスラム勢力の支配下となりますが、文化面でいえばキリスト教世界からも学者が訪れ、イスラム教とキリスト教の融合する文化都市として発展します。
1085年に、キリスト教勢力であるカスティーリャ=レオン王国のアルフォンソ6世がトレドに入城し、以降、1561年に、フェリペ2世がマドリードに遷都するまでの数百年間、文化・政治・経済の中心として、鉄製品や陶器などの生産地として繁栄しました。
ラ・ビスバルに着いて、まず目に飛び込んでくるのは、色鮮やかな、しかし素朴な陶器です。
この辺りの陶器はアラブの文化の影響を強く受けた南スペインのものとは違い、地中海を経由してやってきたギリシャの文化の影響を強く受けているそうです。
もちろんフランス国境にも近いので、フランスやイタリアの影響も受けていることは間違いなさそうです。
ルネサンス期、フィレンツェやローマにも劣らない素晴らし芸術が花開いていたウルビーノでは陶器の製作も非常に盛んで、各地から優れたイストリアート(説話画)の陶芸家が集まり、腕を競っていました。
その中でも特に優れた才能を発揮していたのは、ニッコロ・ペッリパリオ(Niccolò Pellipario)通称二コラ・ダ・ウルビーノ(Nicola da Urbino)です。
二コラは作風や芸術レベルの高さから同郷のラファエロとよく比較され、「マヨリカのラファエロ」とも呼ばれています。
パリ西部近郊、セーヌ川に面したところに位置するセーヴル(Sèvres)は、イル=ド=フランス地域圏オー=ド=セーヌ県に属し、現在は閑静な住宅街として人気のある地域です。
そしてここには約300年の歴史を誇るフランス王立セーヴル窯があり、今もなお、フランス国家機関や、国の贈答品向けに製造が続けられています。
さて、そんなセーヴルで一番の見所は、やはり国立陶磁器美術館(Musée national de Céramique)でしょう 。
「緑の心臓」と言われるイタリア中部ウンブリア州にあるオルヴィエート(Orvieto)の街は、小高い丘の上にあり、「世界一美しい丘の上の街」と言われています。
群馬県の前橋市と姉妹都市でもあるオルヴィエートへは、首都ローマから列車で一時間。電車を降りたら、旧市街へはイタリア語でフニコラーレ(funicolare)と呼ばれるケーブルカーで向かいます。
ちなみに音楽の教科書にも登場する、ナポリ民謡で有名な「フニクリ・フニクラ」はケーブルカーの愛称なのです。
現代ではセーヴル、リモージュなどの名窯の作品を目にする機会が多く、サン・クルーの磁器は一般的にあまり知られていません。
しかし、ここサン・クルー窯はフランスで初めて軟質磁器を生産した窯と言われています。