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シノワズリ|中国“風”であってパクリではない、東洋への憧れが生んだ美術様式(1560年頃~)

シノワズリ(中国趣味)とは、中国製品の“コピー”ではなく、あくまでも中国“風”のものということで、西洋人の東洋の文化へのあこがれから生まれた西と東の美術のコラボレーションなのです。

中国人がコピーした有名キャラクターや東京オリンピックのエンブレムの盗作問題など、“パクリ”はとかく大きな問題になっています。

しかしなぜ“パクリ”、いわゆる複製やコピーがこれほど大きな問題になるのでしょうか?


マニエリスム|ルネサンスの三大巨匠をお手本にして、奇抜な美術様式に発展(1530-1600年頃)

マニエリスムのキーワードは「お手本は巨匠」です。

ミケランジェロを師と仰いでいたヴァザーリ(Giorgio Vasari)は著書「画家・彫刻家・建築家列伝」(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori)でミケランジェロを筆頭に3人の巨匠の「手法(マニエラ maniera)」を芸術的最高のものとし「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と称えました。


ルネサンス|世界の中心は神ではなく「人間」(1400-1530年頃)

ルネサンスを知るためのキーワードは「世界の中心は神ではなく人間」です。

時は15世紀も開けたばかりの1401年。

イタリア、フィレンツェではこの年サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni)の北の門を飾る彫刻を手掛けるアーティストを選ぶコンクールが開催されました。


マリー・ルイーズ|政略結婚のため憎むべき存在「皇帝ナポレオン」の二番目の妃となったハプスブルク家の皇女

マリー・ルイーズ(Maria Luisa、1791-1847)は、神聖ローマ皇帝フランツ2世(Franz II、1768-1835)の長女として、現オーストリアのウィーンで成長しました。

幼少の頃から、「ナポレオン」と名付けた人形をいじめながら育ち、10代の頃にはナポレオンのヨーロッパ侵略によってシェーンブルン宮殿を追われる経験を2度も経験したマリー・ルイーズ。

決して、ナポレオンに対して良い印象を抱いたことはありませんでした。


フランチェスコ1世・デ・メディチ|ヨーロッパ最初の磁器製造を試みた、スキャンダルまみれのメディチ家当主

「メディチ家」と聞くと、何を最初に連想しますか?

成金? 金融? 借金取り? 毒薬? 殺人?

どれもあまり好印象とは言えないものが多いかも知れません。

メディチ家は、ルネッサンス期を代表する一族で、銀行家、政治家として当時のフィレンツェを牛耳っていました。

フランチェスコ1世・デ・メディチ(Francesco I de' Medici、1541-1587)は、このメディチ家の出身で、1584年に、日本の九州の大名がローマ教皇に向けて使節として派遣した4人の日本人少年(天正遣欧少年使節)に、イタリアでの謁見を果たした人物でもあります。

 


モンテルーポ|フィレンツェの食卓を彩ったマヨリカ陶器

フィレンツェから電車に乗って15分も走ると、その景観は一遍し、車窓にはのどかな田園風景が広がります。

普通列車で30分ほどで、モンテルーポ・カプライア(Montelupo-Capraia)駅に到着、駅員のいない無人駅です。

古くからモンテルーポには特出した産業はありませんでした。唯一この街を支えた陶器作り以外には。

この街の陶器が注目されるようになったのは1406年フィレンツェが念願だった港、ピサ(Pisa)を手中に治めてからのことです。


リチャード・ジノリ|メディチ家、そしてハプスブルク家に愛された「トスカーナの白い肌」

1710年マイセンがヨーロッパ初の硬質磁器を誕生させます。マイセンは磁器の製造方法を門外不出としていたにもかかわらず、その製法はヨーロッパ各国へと伝わっていきます。

1718年にはオーストリア・ウィーンのアウガルテン窯が磁器製造に成功し、そして、イタリアでは、1735年にトスカーナ大公国の貴族でありながら、化学・鉱物学にも造詣の深かったカルロ・ジノリ侯爵 (Carlo Ginori) がフィレンツェ郊外のセストフィオレンティーナのドッチア(Doccia)という場所に磁器窯を開きます。

ヨーロッパでは3番目、イタリアでは初の硬質磁器の誕生です。


「遥かなるルネサンス」(東京富士美術館・八王子)|4人の少年がみたイタリアのルネサンスと陶磁器

先日、現在東京八王子の東京富士美術館で開催中の「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア」展に行ってきましたので、その見どころをご紹介したいと思います。


フィレンツェ|メディチ家とともに栄えたルネサンスの中心都市

洋食器好きなら是非、訪れたいのがメディチ家の住まいであったピッティ宮の裏手のボーボリ庭園内にある「陶磁器博物館(Museo delle Porcellane)」です。

メディチ家は偉大な芸術家のパトロンとして有名ですが、様々な美術工芸品のコレクターでもありました。

そのコレクションの1つが磁器で、この博物館ではフィレンツェの支配者であったメディチ家に対して、他のヨーロッパ諸国から贈られたセーヴルマイセンといった著名な陶磁器が収蔵されています。


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