王政復古とクイーン・アン様式|バロックの影響を受けつつ、イギリス独自のスタイルが誕生し始めた時代(1660-1720年頃)

今のロンドンの景観が生まれ、ようやくイギリスに独自のスタイルが誕生し始めた時代です。

 

王政復古期

1660年、イギリス革命の中で共和政が倒れ、ステュアート朝の王政が復活しました。その後、1688年の名誉革命までを王政復古期といいます。

この時代は共和制に不満を持っていた貴族たちによる華美で享楽的なバロック・スタイルが復活しました。

チャールズ1世の子供でオランダに亡命していたチャールズ2世が1660年に即位、王は絶対王政の専制政治とカトリック教会を復活させようとして議会と対立しました。

チャールズ2世出典:Wikipedia(チャールズ2世)

この時期に活躍していた画家をあげるとすると、オランダ人のピーター・レリー(Sir Peter Lely)がいます。

「自画像」ピーター・レリー、1660年頃出典:Wikipedia(「自画像」ピーター・レリー、1660年頃)

レリーがロンドンに渡ったのは1641年頃、既にアンソニー・ヴァン・ダイクが死去していたので、彼はその伝統を受け継ぎ、いち早く宮廷で活躍を始めました。

レリーがイングランドで描いた初期の絵画は単なる肖像画だけではなく、神話画、宗教画、そして田園風景を背景にした肖像画で、ヴァン・ダイクとバロック様式の影響が強くみられる作品に仕上がっています。

その後主席宮廷画家になったレリーの元には大量の注文が入り、多数の作品を残しましたが、そのクオリティーにはばらつきが有り、イギリス芸術界はヴァン・ダイクの死により再び低迷し、ウイリアム・ホガースの登場を待たなくてはなりませんでした。

1666年にロンドンを大火が襲いました。9月2日午前1時頃、プディング・レインにあったパン屋から出た火は、みるみるうちに周囲の建物を飲み込みロンドンはあっという間に火の海になりました。

ロンドン大火

出典:Wikipedia(ロンドン大火)

(*)ロンドン橋(左)、ロンドン塔(右)遠くに見えるのがセント・ポール大聖堂

この時、街の再建に一役買ったのが科学者出身の建築家クリストファー・レンでした。

クリストファー・レン出典:Wikipedia(クリストファー・レン)

4日間で1万3200戸の家屋が灰になったロンドンの街を再建するために新しい建築基準を作成し、焼失した教会を再建することを命じられたレンは、イギリスで最初の設計事務所を設立したと言われています。

1669年には王室営繕局長官に任命され、イギリス最高の建築家に上り詰め、その半生をかけて、セント・ポール大聖堂を建てました。

旧セントポール大聖堂出典:Wikipedia(旧セント・ポール大聖堂)

現セントポール大聖堂出典:Wikipedia(現セント・ポール大聖堂)

レンはヨーロッパ大陸から影響を受けたバロック建築を広め、イングリッシュ・バロックと称される建築様式の中心となりましたが、次第にパラディオ建築の方が好まれるようになっていたので、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジ図書館のように基本的には直線を用いた平たんな作品を造りました。

ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジ図書館出典:Wikipedia(ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジ図書館)

それらの作品は今でもロンドンの街に数多く残っており、ロンドンの景観に重要な影響を与えています。

 

クイーン・アン様式

最後のイングランド王国・スコットランド王国君主(在位:1702年4月23日 - 1707年4月30日)で、最初のグレートブリテン王国君主(在位:1707年5月1日 - 1714年8月1日)、及びアイルランド女王で、ステュアート朝最後の君主でもあったアン女王

アン女王出典:Wikipedia(アン女王)

ブランデー好きであったことから、ブランデー・ナン(英: Brandy Nan)の異名で知られている1702年~1714年、彼女の在位期間をクイーン・アン時代と呼びます。

その頃、大陸のフランスやオーストリアではバロック様式が流行していましたが、イングリッシュ・バロックはむしろ1688年~1702年ウィリアム3世の時代の様式の方がしっくりくるでしょう。

というのもクイーン・アン様式は、同時期にヨーロッパ大陸のバロック様式と比べるとかなりシンプルなデザインです。

バロック様式におけるシンメトリーで曲線的である部分は共通しているのですが、細かい彫刻や金色の塗装など、華美な装飾は省かれているので、非常にシンプルな印象を受けます。

最も分かりやすいのは家具でしょう。この時代非常に流行したのが「カブリオール脚(Cabriole Legs)」、つまり猫足のことです。

クイーンアン様式の家具出典:Wikipedia(クイーンアン様式の家具)

S字形に湾曲した家具の脚は、もともと中国の宝珠をつかむ竜の脚をかたどった工芸品に由来し、17世紀後期オランダ貿易を通じてヨーロッパにもたらされました。

「カブリオール」という語はフランスのバレエ用語〈跳躍〉を意味していて、最初にルイ14世後期のフランス家具に導入され大流行し、1700年ころにはイギリスをはじめヨーロッパ諸国に移入されました。

クイーンアン様式の椅子、膝部に帆立貝の彫刻出典:Wikipedia(クイーンアン様式の椅子、膝部に帆立貝の彫刻)

クイーン・アン様式のいすやテーブルのカブリオール脚は膝部に,帆立貝の彫刻がほどこされるなどイギリス特有の使いやすさに拘った、落ち着いたシンプルなスタイルを用いていました。

クイーン・アンの在位は12年とは短かったにもかかわらず、クイーン・アン様式はそのシンプルさや初めてのイギリス独自の様式だったことによって18世紀中頃まで長く愛され、19世紀にはリバイバルが起こりました。

イギリスのクイーンアン建築、ウースターシャーのHanbury Hall、1706年出典:Wikipedia(イギリスのクイーンアン建築、ウースターシャーのHanbury Hall、1706年)

また1720年代から北米植民地のアメリカにもクイーン・アン様式が伝わり、現地の経済発展や職人移民の増加等により、家具や内装共々、人気を博すようになり、その流行は1730年代か1750年代まで続き、その後も独自の進化や地方性を帯びるなどしつつ、現代まで愛されています。

アメリカのクイーンアン建築、カリフォルニアのCarson Mansion出典:Wikipedia(アメリカのクイーンアン建築、カリフォルニアのCarson Mansion)

またその影響は日本の建築にも及んでいて、明治の建築界における最大のリーダーと言われ、日本銀行本店などを設計した辰野金吾は、東京駅にクイーン・アン様式を取り入れています。

東京駅出典: depositphotos.com (日本のクイーンアン建築、東京駅)

 

参考資料

イギリス美術史、岩崎美術社