バイロイト|ロココの宮廷文化とワーグナーが作ったオペラ劇場の町

辺境伯夫人ヴィルヘルミーネにより花開いたロココ宮廷文化

ドイツ南東部、ベルリンミュンヘンを結ぶ街道のほぼ真ん中に位置するのが、バイロイト(Bayreuth)です。

18世紀に優雅なロココ文化が花開いたこの町では、毎年夏に「バイロイト音楽祭」が開かれ、世界中の音楽ファンがワーグナーのオペラを鑑賞しに訪れます。

バイロイトが現在のように華やかな建造物があふれる文化的な街になったのは、18世紀にこの地に嫁いできたプロイセンの王女、ヴイルヘルミーネ(1709-1758)のおかげでした。

ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン出典:Wikipedia(ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン)

ヴィルヘルミーネはプロイセン王の長女として生まれました。KPMベルリンを開窯したフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)の姉にあたり、共に芸術を愛した二人は終生仲の良い姉弟でした。

本来、フレデリック・ルイス王太子(ジョージ3世の父)の妃としてイギリス皇后になるはずだったヴィルヘルミーネは、運命のいたずらでブランデンブルク・バイロイト辺境伯と結婚することになり、バイロイトの地にやってきました。

フリードリヒ3世 、ブランデンブルク・バイロイト辺境伯出典:Wikipedia(フリードリヒ3世 、ブランデンブルク・バイロイト辺境伯)

大国プロイセンの首都・ベルリンの宮廷で育ち、芸術を愛するヴィルヘルミーネにとって、辺境伯の居住地であったとはいえ、片田舎の小さな町であったバイロイトは全く物足りないものでした。

そこでヴィルヘルミーネは理解ある夫のもと、バイロイトを一大文化都市にするため、精力的な活動を始めました。

絵画・音楽・文学すべてに興味を持ち、自身も優れた芸術家であったヴィルヘルミーネは、フランスの宮廷文化の影響のもと、バイロイトの町に今も残る、数々の素晴らしい建築物の建造に携わりました。

 

旧宮殿(エルミタージュ)

旧宮殿(エルミタージュ)は1715年に建築され、1735年にヴィルヘルミーネの26歳の誕生日のプレゼントとして夫の辺境伯から贈られました。ヴィルヘルミーネはこの宮殿を改装し、辺境伯夫妻の夏の離宮としました。

バイロイト、旧宮殿エルミタージュ出典: bavaria.by (旧宮殿)

日本の間、音楽の間、中国の鏡の間など、ロココ風の優美な内装が美しいこの宮殿で、ヴィルヘルミーネは晩年に自らの回想録を書いています。

バイロイト、旧宮殿エルミタージュ出典: bavaria.by (旧宮殿)

洞窟やオランジェリー(温室)、芸術神アポロンを祭った太陽の神殿がある美しい庭園では、毎年ロマンティックな「夏の夜祭り」が催されます。

 

辺境伯歌劇場

ヴィルヘルミーネの娘の結婚を記念して1748年に完成した辺境伯歌劇場は、豪華絢爛なバロック様式の建物です。バロックらしい曲線美が特徴で、凝った装飾の木造の柱やバルコニーには、優美な色彩や金箔が施されています。

バイロイト、辺境伯歌劇場出典:unesco(辺境伯歌劇場)

2012年にユネスコ世界文化遺産に指定された後、修復作業が行われ、2018年に再オープンしました。現存するドイツのバロック劇場の中でも、最も保存状態がいいといわれるこの歌劇場は、今でも私たちに往時そのままの輝きを見せてくれます。

バイロイト、辺境伯歌劇場出典:unesco(辺境伯歌劇場)

 

新宮殿

辺境伯の居城が火災にあったため、新しく作られることになった宮殿の建築計画には、ヴィルヘルミーネが大きく関わりました。

バイロイト、新宮殿出典:bayreuth-tourismus.de(新宮殿)

1753年に建てられたこの新宮殿は、弟・フリードリヒ大王がポツダムに建てたサンスーシ宮殿を意識して作られ、ロココ調の優美な内装が施されています。

バイロイト、新宮殿出典:bayreuth-tourismus.de(新宮殿)

鏡の間と旧音楽の間では、ヴィルヘルミーネ自らの手により描かれた、歌手や俳優、踊り子の絵が見られます。

また新宮殿の一階には、18世紀にバイロイトで製造されたファイアンス焼きのコレクションが展示されています。

ヴィルヘルミーネのおかげで、バイロイトは一大文化都市として名を高め、バイロイト・ロココという名称ができるほどになりました。

 

ワーグナー理想の歌劇場とバイロイト音楽祭

そんな文化都市バイロイトに注目し、約100年の後に訪れたのが、大音楽家のリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)でした。

リヒャルト・ワーグナー出典:Wikipedia(リヒャルト・ワーグナー)

ワーグナーは、自らの作曲したオペラを上演するのにふさわしい劇場を探していました。バイロイトの辺境伯歌劇場の名声を聞きつけたワーグナーは、自分の作品を上演するのに適切な劇場であるかを確かめるため、1870年にバイロイトを訪れます。

その結果、辺境伯歌劇場は自らのオペラの上演には適さないと判断したワーグナーですが、バイロイトに理想の歌劇場を建設することを心に決めました。

パトロンであるバイエルン王ルートヴィヒ2世の支援を受け、ワーグナーは1872年に祝祭劇場の建築を開始しました。ワーグナー自ら音響・視覚効果などについて細かく指示を出し、1876年に劇場は完成されました。

バイロイト祝祭劇場出典:deutschland.de(バイロイト音楽祭のメイン会場となるバイロイト祝祭劇場)

木造づくりの劇場は1937席しかなく、すべての席が舞台正面を向いていて、音響効果のために椅子にはクッションをつけない、またオーケストラは舞台のはるか下の見えないところで演奏させ、観客を舞台や歌に集中させるなど、ワーグナーのこだわりが集結したものになりました。

開幕には「ニーベルンゲンの指輪」が初演され、チャイコフスキーやグリーク、グノー、リストやサン・サーンスなど当時の著名な作曲家が大勢居合わせたそうです。

今も毎年7~8月に行われる「バイロイト音楽祭」では、ワーグナーの作品が上演され、期間中は世界中から10万人もの人が訪れます。

ワーグナーが住んでいた家はヴァーンフリート館と呼ばれ、ワーグナーの記念館となっています。ワーグナーの生涯とその作品についての展示がある他、バイロイト音楽祭の歴史について知ることができます。庭の片隅には、ワーグナーと妻コジマの墓がひっそりと築かれています。

バイロイトのヴァーンフリート荘
出典:Wikipedia(バイロイトのヴァーンフリート荘と、裏庭にあるワーグナーとコジマの墓)

 

ロココの粋を集めた、褐色と金の輝き:バイロイトのファイアンス焼き

バイロイトでは1715年に、辺境伯ゲオルグ・ウィルヘルムの命により、宮廷で使用される高級食器を製造するためのファイアンス焼き工房が開かれました。

バイロイト陶器出典:bayreuth.de

バイロイト産のファイアンス焼きは「褐色の陶器」と呼ばれ、ごく薄い生地に茶や黄色の釉をかけ、金や銀で模様を描くのが特徴でした。

繊細で時に浮彫が施された絵柄は美的価値が高く、ドイツのファイアンス焼きの中でも最高レベルを誇るものでした。

バイロイト陶器出典:bayreuth-wilhelmine.de

バイロイトの歴史博物館には、約600点のバイロイト・ファイアンスの食器が展示されており、優雅なロココ時代の宮廷文化をしのぶことができます。

 

参考資料

Stadt Bayreuth

bayreuth-tourismus.de